倉沢涼子です
あの日、例年通りの繁忙期を迎えていました。午後に差し掛かった時に店頭のガラスが大きく揺れ、店を飛び出したのを覚えています。耐震上、小田急線の高架下が一番堅牢と考えた私たちは駅前で揺れが収まるのを待っていました。
見慣れた建物たちが大きく大きく横に揺れていたのが脳裏から今でも離れません。
自衛隊、警察、消防、そして各国軍隊、ボランティアの皆さんが現地に向かいましたが、自分に出来ることを考えた時、「汗を提供」できないならしっかりと働き納税する事を優先したいと考えました。復興投資信託なども組成されましたが、イマイチ信用できず。。。
そして今日も私は、今も震災の傷癒えぬ方々を胸に抱き日常を過ごします。ただ、恐れ、不安になり東京で思考停止に至るくらいであれば自分の職責を全うしその結果を国にいつも通り、提供したいと思っています。
3.11当日は携帯が通じず公衆電話に長蛇の列が出来ていました。
何ができるか考えたときに私たちは駅前に店を構える責務として事務所内固定電話の開放を行いました(写真は当社事務所の無料開放固定電話を待つ人々)消防団に所属していた私としてもこの機転はちょっとだけ冷静になれた結果実現しました。
「熱意を持って冷静に」これは有事の際のキーワードかもしれませんね。
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